先週日記
 先週ってか最近は、角川有楽町シネマのトリュフォー映画祭にたくさん行った。見たのは「華氏451度」、「野生の少年」、「思春期」、「アメリカの夜」、「恋のエチュード」。 東中野ポレポレ坐で若松孝二「続日本暴行暗黒史 暴虐魔」っていうのも見た。どれも良かった。


「ニンフォマニアックvol.2」も素晴らしかった。主人公ジョーは父親に「葉の落ちた冬の裸の木は、木の魂だ。だれでも自分の魂の木を見つけることができる」と教わる。物語の最後に、ついに彼女は自分の魂の木を見つける。 
 映画の宣伝のためか、ヤリマンがなんとか、ビッチがなんとか、と耳につきやすい言葉で語られがちなこの作品だけど、私はこの映画の白眉、というか物語上の一番の重要ワードは、この木や葉について語られる箇所だと思う。(あと、最初のシーンの濁った水が路地裏に流れる音。)
 木の枝や、葉脈の形は人間の神経の形に似ている。性衝動や刺激への依存は神経を介して引き起こされる。自然の姿と、人間のある部分の形が、相似を描いていることを示すことで、物語にぐっとカメラが引いたように急に巨視的な目線が与えられる。
 自然と人間が等価になる。ジョーはニンフォマニアック云々を通り越して、ただの人間の女になる。しかも、それは少女時代に父から秘密を教わったためなのだ。自然と人間の真の関係性に関する秘密を。
 関係性を拒絶するような人間ばかりが登場するこの映画だが、実際は関係性のみを橋渡しにしてジョー個人の物語が進行していることが最後には明らかになる。

(正確には、人や物どうしの関係性を頼りにしてのみ、私たちは伝え聞いたバラバラの事象をひとつの物語に頭の中で織り上げていくことができる。派生してゆく物語の形も、可視化されれば木の枝や葉脈に似るかもしれない。)

 また、主人公が幼年期からの個人史を自ら語るという構成が、映画的というよりもどこか文学的で、分厚い近代小説を読んでいるようでもある。最後に読書好きのセリグマンが射殺されることで文学が現実に殺されたような印象が与えられるがそれは間違いで(文学オタクを苛烈に攻撃してはいるが)、実際は個人として一人の女性そのものを描き出す、という近代文学のひとつの大事な目標を映画で達成してしまっている、書物のような映画である。シーンに章題がついているのは、本に似させているのだろうと思った。(フォン・トリアーの映画はいつも章題ついてるけど。本が好きなんじゃないかと今回はじめて思った。)
 シャルット・ゲンズブールやステラン・スカルスガルドの作品への献身を思うとまた泣ける!

 2014年の正月だったと思う。まだSWANNYでファスビンダーの芝居を上演する前、「マルタ」「ローラ」「マリア・ブラウンの結婚」が、女性三部作として、ロードショー公開されている最中だった。仲間内での新年会で、作家のN原MASAYAさんに「ファスビンダーの『マルタ』とか『ローラ』ってどんな話?」とふと尋ねると、びっくりするような良いことを言われた。

「男性の作ってきた社会の枠組を壊すことができるのは女性だけなんだから、女性はいつも生き生きと、決まりきった枠組みに縛られずに自由に振る舞わなくちゃいけないし、それを認めることこそが、成熟した社会のあり方なんだ、ってことを、ファスビンダーはゲイだけれども、ゲイの視点から描いた映画。だからあなたたち女性作家は、ものすごく頑張らなくっちゃいけないんだよ。あなたはわりあい純粋そうに見えるし、良い友だちに恵まれてるでしょう? ここにいる誰よりも(小さい飲み屋だったが)、大きな仕事をするんだよ!」

 あんまり感動してちょっと涙ぐんでしまったように思うが、数時間後しこたま酒を飲んだ後に、「N原さん、さっきメチャクチャ良いこと言ってたよね?」と尋ねたら、「へ? 何それ。そんなこと言ってないよ!覚えてない!」と、真顔で強硬に否定された。本当に覚えてないようなのだった。だから、ファスビンダーの霊か、それ以外の何かおかしな物が、憑いてたというか、降りてきていたに違いない。その5ヶ月後、急遽ファスビンダーの芝居を上演することになったのだけれど、(N原さんではない)詠み人知らずの、この言葉を聞かなかったら、上演もなかったような気がしないでもない。

 それを思い出すと、ニンフォマニアックのシャルロットはでっかい仕事したな〜と思うし、こないだの読書会で読んだ橋本治さんの「恋愛論」に頻出する「女の人は緊張感を超越しなくちゃいけない」ってフレーズは、似たようなことを意味してるのだろう。

 ライブは先週はスーパーデラックスに何度も通って、ジム・オルークさんとブリュンヒルド・フェラーリ、オーレン・アンバーチ&ジム・オルーク&灰野敬二、アラン・リクトや山本精一さんや坂田明さん、石橋英子ともう死んだ人たち等の出演した「car and freezer FESTIVAL」などたくさん見た。幸せな時間だった。
 
 ドイツ文学者の渋谷哲也先生が、お茶の水の「エスパスビブリオ」という素敵なカフェ&本屋で行った、ストローブ=ユイレの「アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記」の上映会&講義も素晴らしかった。
 ストローブ=ユイレは、一人の人かと思ってたけど、じつは夫婦の連名なのだ!「アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記」は、バッハの生涯を妻の視点から描くストローブ=ユイレの60年代の代表作なのだが、当時は使ってる人も少なかったバロック時代の古楽器を使って、出演者達による生演奏の同時録音で全曲撮影した、バッハの演奏シーンがこれでもかと怒濤のように流れつづける、ものすごい映画なのだ。
 映画見てるだけだと「バッハがずっと流れて…ウトウトする…」と頭の中はてなマークでいっぱいだったが、渋谷先生の講義で俄然その創作の姿勢に共感せずにはいられなかった。
「いわゆる対抗文化と言いますか、反カラヤン反グレングールド、当時のロマンティックなクラシックの解釈や『天才作曲家』神話に、真っ向から挑戦するラディカルな映画なんですよね」と渋谷先生は語っていたけど、こんな上映会をやっちゃう渋谷先生も相当ラディカルだよと思ったのだった。

 トリュフォーとレオーの関係性や「野生の少年」、ニンフォマニアック、渋谷先生の講義、などで人から教わったり人に教えたりすることについて少し考えた。アラン・リクトさんの著書「サウンドアート」(フィルムアート社)を読んでいる。周囲から少しずつ、音楽やアートについて教わったりさまざまなライブを見させてもらったりしなかったら、とっかかりがなかった本だ。

 それから少し離れた場所に住む友人の家に5年振りに遊びにいった。人は死ぬまで成長すると聞いたことがあるけれど、友人はまた強く美しくなっていた。成長を喜び合える相手がいるのは幸運なことだ。


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by chigirayuko | 2014-11-04 14:21
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千木良悠子の日記です。
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