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イタリア日記1
2月27日

ミュージシャンの石橋英子さんのライブツアーにくっついて、イタリア旅行をしてきた。
27日の朝、石橋さんと新宿駅の南口で待ち合わせ。10:08の成田エクスプレスで、成田空港へ向かう。電車の中で、親から借りた新品デジカメの電池を忘れたことに気がつく。せっかく持ってきたカメラ、ただの無用の黒い箱になってしまった。
チェックインし、携帯電話をレンタルしたり、お金をユーロに両替したり、いろいろ用事を済ませる。旅行前に、日本らしい食べ物を食べておこう、ということになり、空港内の「そじ坊」で、たぬき蕎麦と寿司のセットを食べた。出発の時間が近づいてきたので、荷物検査などして、搭乗口へ。卒業旅行に向かうらしい、学生さんでいっぱいだった。
機内で見た映画は「ウォーリー」と「レッドクリフ」。飛行時間12時間半だったけど、けっこう眠れたのでそんなに長く感じなかった。

ミラノ・マルペンサ空港で、サックス奏者、Gianni Gebbiaと待ち合わせ。
その人物こそ、今回のツアーを組んだ張本人であり、これから石橋さんと毎夜セッション演奏をすることになっているサックス奏者であり、そして私たちとこの先の十日間あまりの旅路をともにするイタリア人男性であるという。
だが、ジャンニさん、どこにも見当たらない。何回も電話をかけるが、出ない。レンタルした海外携帯電話のかけかたが間違っているのか、それとも、まさか今日に限ってジャンニさん、携帯忘れたとか!?
『空港第二ターミナル』に探しに行ってみよう、という話になり、「その前にもう一度、出口付近をざっと見回してみよう」と元いた場所に戻った途端、石橋さんが「ジャンニ~!」と、大声で名前を呼んだ。黒い巻き髪、高い鼻、そして青いサックスのケースを背負ったジャンニが、そこにいた。
ジャンニと石橋さん、ハグして、頬を片方ずつ触れ合わせて挨拶している。イタリア人とはああして挨拶するんだ。私も見よう見まねで、同じようにした。
ジャンニ、本当に携帯をなくしてしまったのだと言う。空港職員に荷物を乱暴に扱われたどさくさで、落としてしまったらしい。もうちょっとタイミングが悪くて、互いが移動してしまっていたら、私たちは永遠に会えなかったのだ。

空港を出て、車に乗った。車はレンタルしたという、シルバーのかっこいいFIATだった。前の席に乗った石橋さんとジャンニが英語でしゃべっているのを聞いているうちに、少し眠ってしまった。

車はミラノから北へ向かっていた。ベローナの付近のパーキングで、ちょっとだけ降りて、飲物や食べ物を買った。あたりはもうすっかり暗くなっていて、夜闇の中に、たまにライトアップされた城や教会が浮かび上がる。湖が見える。だんだん、風景が山がちになってゆく。ジャンニは教会や城についていちいち丁寧に説明してくれた。「明るかったらもっといろんな史跡が見えて楽しいと思う」とジャンニ。

三人で、本や映画の話をした。ジャンニは驚くほど日本の文化に詳しい。彼は以前日本に住んでいたそうで、そのとき禅寺に泊まりこんで修行をした経験があるという。「僕の禅・マスターは、瀬戸内寂聴と友達だよ」と言うので、なんとなく可笑しかった。
私が、「イタリアの映画なら、フェリーニが好き。81/2、サテリコン、」というと、石橋さんが「それから『道』ね。道はイタリア語でなんていうの?」とたずねた。ジャンニが「ラストラ~ダ!」と言った。La Strada、うつくしい響き。


また眠ってしまっていて、目覚めたら、石畳の凹凸で車が揺れていた。小さな町に入ったらしい。そこは、イタリアの最北部にある、ボルザノという町だということだった。私は事前に何も知らぬままやってきてしまったのだが、聞けば、ここで一泊するという。
ジャンニいわく、ボルザノはイタリアとドイツの境界近くにある町で、二カ国語が半々で使われているらしい。見ると、たしかに店の看板も、イタリア語らしきものと、ドイツ語らしきのと、二種類ある。道路標識もどうやらニカ国語で書かれているようだ。

車は、ジャンニの予約しておいてくれたホテルの前で止まった。
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もう深夜12時近くで、ホテルの入り口は閉まっていた。だが、呼び鈴を押すとドアが開いて、何の問題もなくチェックインできた。部屋番号は108と言われるが、探せども、見つからない。受付係の人が助けにきてくれて、突き当りの何の表示もないドアを開けると、108、109と書かれた二つのドアが現れたから、笑った。「からくり屋敷みたいだ、わからないはずだ!」と言いながら、部屋に入って、一息ついた。青いシーツのかかったベッドがふたつ並んでいる、かなり広い部屋だった。たしか二人で30ユーロくらいで、すごく安かったと思う。

煙草を吸いに外に出たら、賛美歌が聞こえてきた。見ると、十数人の集団が、目の前の高い塔がある教会めざして、歌いながら歩いてゆく。それにしても、なんと賛美歌の似合う、なんと静かで荘厳な雰囲気の町だろう。「大阪の『なんば』じゃ、こうはいかないね。さすがにヨーロッパだね」と、石橋さん、変な感心のしかたをしていた。

部屋に戻って、お風呂に入った。タオルを持ってきていないので、それらしき物がホテルにないか探したら、部屋の隅の椅子に無造作に置かれた白い布を発見。でも、バスタオルにしては固すぎる気がして、「もしかしてシーツかも」と一瞬躊躇したが、とりあえずその布で頭を拭いて、寝た。


2月28日
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朝、ボルザノの町をちょっと散歩した。緑、ピンク、クリーム色、といったかわいらしい色の壁が並ぶ。天気が良く、空が青い。本屋さんで、石橋さんが赤いノートの三冊セットを買って、一冊私にくれた。ホテルの一階のカフェで、朝ご飯を食べた。クロワッサンとコーンフレークとヨーグルトとハム、チーズ。パンがやたらとおいしく、感激する。

食べ終わって、ホテルの前で煙草を吸っていると、大きな楽器を持った男の人がぶらぶら歩いてくる。ミュージシャンかな、と思って見ていると、その男性も私たちのほうを見つめている。なんだろう、と思っていると彼がいきなり、「エイコ?」と言った。「ああ、ダニエレ!? はじめまして!」と石橋さん。いったい、この男性は何者なのか。

これもまた、私は全然わかっていなかったのだが、彼はDaniele Camardaというベース奏者で、この町、ボルザノで昨夜、ライブをしていたらしい。ジャンニと石橋さんは、ここでダニエレ氏と待ち合せし、本日これからドイツのパッサウという町に向かい、そこでライブをして、翌日ミラノに移動し、三人でレコーディングをする予定なのだという。知らなかったな~!

ダニエレと握手し、「はじめまして」と言っていたら、目の前を通った若いカップルが歩きながらキスをした。駐車場までみんなで歩いた。羊ほど大きい犬が道ばたに寝そべっていた。四人のスーツケースをむりやり車のトランクにつっこんで、ボルザノを発った。美しい街さようなら。

しかし、車から見る景色も、町に負けぬほど美しかった。山の形からして、日本で見るのとは違う。頂上が平べったくって、上半分にクリームのように雪がかかっている。土曜日のせいか、道路は渋滞している。イタリア人たちは、ポルシェやシボレー、ベンツにトヨタ、立派な車を、どれもほこりまみれにして、転がしている。なんだかみんな楽しそうに見えた。フェラーリみたいな外車は、イタリア人にとっては、国産車だな。と当たり前のことを考えた。
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山々がだんだん、雪で真っ白くなってゆく。スキーをしている人たちが見える。ジャンニが山を指差し、「Like a giant cake.」と嬉しそうに言った。ジャンニが本当に甘いもの好きだとわかってくるのは、これよりもう少し後のことだ。レジデンツがかかり、夢の世界に誘われて、また眠ってしまった。


お昼すぎ、サービスエリアの中の、山小屋みたいな大きいレストランに入った。派手な飾り付けのケーキが、ショーケースの中に並んでいる。ウェイターさんたち、みんな相撲取りのように丸っこく肥っていて、大きい。「このへんはもうドイツだ。ドイツ人には、イタリア人より、大きい人が多いんだよ」とジャンニが教えてくれた。この近辺の名物だという、「グーラッシュ(Gulasch)」という料理を食べた。煮込んだ牛肉にパプリカのソースがかかっていて、ニョッキが添えてあった。食べ終わって外に出ると、日はもう、少し傾きかけていた。足下でぐじゃぐじゃに溶けている雪を飛び越えて、再び車に乗った。石橋さん、隣で帽子を目深にかぶり、寝ている。

しばらく走ると、いつのまにか雪は消えて、あたり一面、茶色いドイツの田園風景が広がっていた。巨大な煙突とガスタンクがそびえ立っているのが見える。ピンクフロイドのアルバムジャケットみたいに、突飛な光景だった。さらに進むと、日が落ち始めた。雲が一部だけあざやかな黄色に染まっている。息が止まるほど美しい。
ずっと北の方向に走っていたのだけど、ミュンヘン近郊から東方向の道に入った。そのとたん、急に空が曇り始めた・・・と思ったら、霧が降りてきていた。道沿いの草原の中に、高い木が一定間隔に植えられ、霧の中でくっきりと黒い影になっている。まるで、スタンプで押したみたい。あるいは、カーテンの生地の模様みたい。パッサウはまだだろうか。


夜6時か7時ごろ、道路にパッサウ(Passau)、という標識が現われた。空はすでに濃紺色で、もう夜だった。外灯に照らされながら、フワフワとした、黒い燃え滓のような影たちが、群れになって空の彼方へ消えていった。ドイツの蝙蝠だ。川を指差し、「ドナウ・リバー」とジャンニが言った。川の向こうに城がそびえたっていた。霧にけぶっている。

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最初のライブを行う、パッサウの「Cafe Museum」というクラブにようやくたどりついた。教会を改築した建物だそうで、天井は丸っこく、ドアはアールヌーボー調のステンドガラスで装飾されていた。オーナーのユーゲンさんが、ライブ会場となる部屋を案内してくれた。ジャズの演奏がよくおこなわれる場所のようで、さまざまなミュージシャンの写真が壁に飾られている。石橋さんのお友達の、日本人音楽家の写真もあった。
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部屋の突き当りの扉を開けると、霧の立ちこめるドナウ川と古城がすぐそこにあった。
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みんなで川を眺めながら、またタバコを吸った。
「自分は川が好きなんだ。川の水は行ってしまうと、もう戻ってこなくて、まるで人生みたいでしょう?」、というようなことを(たぶん)、ジャンニが英語で言った。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」って誰の言葉だっけ? インターネットがあればすぐググるのに。私の知識はなんでもうろ覚えで、役に立たないことばかり。あいまいに笑うことしかできない。

いちおうビデオ撮影の係としてやってきたという名目になっている私は、いちばんうしろの席に陣どって、カメラを用意した。老若男女がつぎつぎとやってきて、席に着き始めた。本当に、年若いギャルたちから、老年の夫婦まで、お客さんたちの顔ぶれがバラエティに富んでいる。
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ライブ始まった。演奏すばらしい。ジャンニのサックスはたとえようもないほどロマンチック。ダニエレのエレクトリック・ベースは、「リュート」とミックスした自作の楽器だそうで、多様な音色を生み出し、まるで清冽な川の流れのように安定して響き渡る。その中を石橋さんのピアノと歌が美しく漂う。不協和音やマイナーコードの連なりも、ここでは陰鬱には響かず、霧のように立ちこめては、また散っていくだけ。それは、まるで揺れ動く人の心の有り様を表わしているかのようで、たとえ不安や悲しみに満ちた心であっても、彼らの音楽はそれらを肯定し、称揚し、何か美しいものに変えてしまうかのようだった。
この日の演奏は、とりわけロマンチックで、パッサウの情景とぴったりマッチしていた。
大きな犬を連れた通行人が、音楽に惹かれて足を止め、窓から彼らの演奏をじっと眺めていた。
アンコールの拍手が鳴りやまなかった。傍らの老年夫婦もどうやら喜んでいるようだった。こういった即興演奏のたぐいを、これほどまでに幅広い年齢層のお客さんに喜んでもらえる機会は、特に日本だったら、なかなかないと思う。見ているだけの私まで、なんだかうれしかった。

楽器を片づけ、お店のカフェスペースに移動し、白ワインで乾杯した。クラブのオーナーが、この店で粉から打って作っているという、ルッコラのパスタを出してくれた。やたらとニンニクがきいていた。また、ドイツっぽいずっしり重たいケーキを何種類か出してくれたので、「もう食べられないよ~」と言いながら、みんなで一口ずつ回して食べた。
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この日泊まったのは、ジャンニが予約しておいてくれたWilder mannというホテル。
「ドラクエ」に出てくるみたいな、すごい内装のホテルだった!剣や竜や妖精が登場して戦うような、ファンタジー小説や映画みたい。そういうのって、ドイツの文化と何か関係があるのだろうか? わからないので、すぐに寝た。次の日、石橋さんに「眠りに落ちるのが、野比のび太なみに早いね。あざやかだった!」と褒められた。


3月1日
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9時前に起床。ホテルの上階でビュッフェスタイルの朝ごはんを食べる。コーンフレーク、コーヒー、シロップ漬けの洋ナシと桃。黒パン。ゆで卵を発見したので、割って食べた。
もうちょっとパッサウの街を見てみたかったけれど、時間もなく、車に乗りこんですぐに出発。
この日は長距離移動なのだった。ドイツからスイスに入り、アルプスの山を越えて、ミラノに戻るのだ。


車の中から見た、スイスの山は圧巻だった。たぶん富士山より高い山々が、私たちを取り巻いて、雪煙の向こうで青く霞んでいる。いくつものトンネルをくぐり、ひたすら南に進んだ。
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「山に感謝だ。この山のおかげで、われわれはドイツ人じゃなくて、イタリア人でいられる」
とジャンニが気のきいたふうの冗談を言った。
つまり、このスイスの雪深い山を真ん中に、北側には霧のたまりやすいファンタジーの国・ドイツがあり、南側には乾燥した太陽の国・イタリアがあるというわけなのだ。実際に通ってみると、いかにも地理が飲みこめたような気になってくる。
さらにジャンニいわく、「音楽の好みもドイツとイタリアじゃだいぶ違う。ドイツ人はちょっとロマンティックな面があるから、昨日のような演奏でよかったけど、イタリア人はもうちょっと皮肉屋だから、あんまりロマンティックに演奏しすぎるとウケないかも」、とのこと。これはどこまで本当かわからないけど・・・。

突然車が脇道に止まったから、何かと思ったら、ジャンニが携帯電話で誰かと話している。ローマのラジオ番組に電話出演しているのだ、というので驚いた。数日後にローマで行われるライブの告知などしているらしい。スイスの雪道でタバコを吸いながら、電話が終わるのを待った。吐く息が白かった。

途中、サービスエリアで白身魚にタルタルソースかけたのを食べたりして、夕方近くに、ようやくスイスを脱出。イタリアに入ることができた。ミラノに着いたころには、あたりはもう真っ暗だった。

ジャンニもダニエレも、ミラノには詳しくないらしく、周りのイタリア人たちに、めったやたらと道をたずねまくっている。「スクージ!」と言って、車だろうがバイクだろうが、通行人だろうが、どんどん呼び止め、道を聞く。聞かれたほうも聞かれたほうで、自分の知ってる限りのことをペラペラ、しゃべりまくる。イタリア語だから、何を言ってるのかさっぱりわからないが、しまいには関係ない話してるんじゃないか? ってほど、おしゃべりが盛り上がったりしている。
イタリア人って、こんなふう? 一時間以上はミラノをうろうろしていたようだが、見てて面白くてたまらなかった。結局さいごには、インターネットでグーグルマップを検索。ようやくこの日泊まるホテルにたどり着いた。

荷物を部屋に置いて、ホテルの近所で夕ごはんを食べた。
赤や白の内装の、ちょっとバブルっぽい雰囲気だけどおしゃれなバーだった。でも、もしかすると、日本のバブルっぽいバーのほうが、その昔、イタリアのおしゃれをいい加減に、テキトーにマネして作られたものなのかもしれない。そんなことを一人でごちゃごちゃ考えた。前菜とパン、それから生野菜にオリーブオイルとバルサミコ酢をかけたものなどを食べた。あと白ワイン。ジャンニが日本滞在時の思い出を、とっくりしゃべってくれた。ホテルに帰ってからも、玄関前でずうっと話した。意外な日本人アーティストたちと共演歴のあるジャンニ。彼の話はびっくりの連続だった。
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ホテルのシャワールームに入ろうとしたら、お湯が出ない。ジャンニに相談したら、「ふーん、そうなんだ。そんなことより、僕の日本にいたときの写真、見ない?」と部屋に引きずりこまれる。ノートパソコン上で、ジャンニの禅寺修行時代の写真を次から次へと見せてもらい、さらなる思い出話の大サービス。結局、お風呂には入らず、部屋の洗面所で頭だけ洗って、寝た。
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by chigirayuko | 2009-02-27 03:25 | 2009年イタリア日記
イタリア日記2
●3月2日 ミラノ

朝、近くのカフェで、チョコレートクロワッサンとカプチーノの甘い甘い朝ごはんを食べた。石橋さんたち、今日はレコーディング。ミラノの高級マンションの一室にある、録音スタジオにおもむく。このスタジオが、びっくりするほど、居心地良い場所だった。まず、グランドピアノがある。それからいつでもエスプレッソの飲めるダイニングキッチン。おしゃれな照明とイスがあって、その横のくつろぎスペースにはふっかふかのソファ。そもそも、壁がオレンジ色。窓の外からはミラノのそよ風が……。
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レコーディング始まってしまって暇なので、観光に行くことにした。ミラノで観光するといったら、例の尖った飾りのいっぱいついた、大聖堂(ドゥオモ)、あれしかない。地図を片手に、ドゥオモ目指して歩いた。二十分くらいで到着。
ドゥオモの内部を見学し、それからエレベータで屋上にも登ってみた。大理石が雨に濡れて、ちょっと滑った。日本人観光客の男子集団が、「ちょう高けえ!ちょうこええ!」とびびりまくっている。欧米人観光客の母娘が、「お母さん、これ以上登れないから、あんただけ先行きなさい!」「ええ~、せっかく来たんだからいっしょに登ろうよ」と押し問答している。屋上から見たミラノの空は、少し曇っていて、きれいでも、汚くもなかった。
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シャンプーがなくなってたので、ドゥオモ広場に隣接したデパートで、高いのを買ってみた。Kiehl'sのココナッツの匂いのシャンプーとリンス。広場のまわりには、お店がいっぱいある。もっといろいろ見て回りたかったけど、ジャンニたちとお昼を食べる約束の時間が近づいてきていたので、焦ってスタジオに戻った。

みんなで昼食休憩。スタジオ近くのレストランで、「ポモドーロ」のパスタを食べた。ポモドーロってトマトの味のことみたい。ペンネにひたすらトマトソースがぶっかかっている、単純な味のパスタ。正直、小麦粉小麦粉の連続攻撃に飽きがきていたので、チキンと生野菜のサラダもあとから注文した。
私、本当は、ひとりで知らない街を歩くのが心細かったので、皆の顔が見れてハシャいでいた。いっぽう、石橋さんはやや神妙な顔つき。きっと、レコーディングのことで頭がいっぱいなのだろう。「どうだった」と尋ねると、「いやあ、半分くらい、サウンドチェックかと思ってたら、録音してたんだよね~。ま、いっか!」とおっしゃるので、ずっこけた。
「でも、すばらしかったよ。ジャンニはやっぱりすごいし、ダニエレのベースは、特別。ああいう人は他にいない……」
石橋さん、夢中で話してくれた。ガス入りの水と、エスプレッソも飲んで、大満足でまたスタジオに戻った。

レコーディングで歌入れしたという詞を、読ませてもらった。瞬間と永遠、有限と無限、過ぎ去った春の日についての、美しい歌詞だった。

夕方五時くらいに、またスタジオを出て、散歩に出かけた。イタリア大通りを歩いて、ドゥオモ広場へ。ボディショップを発見したから、バラの匂いのボディシャンプーとスポンジを買った。靴のかかとが破けてきてたので、靴も買った。物欲がわいてきて、服屋を回ってたら、夜遅くなってきたので、急いでまた皆のところに戻った。

夜、スタジオの人たちと、近くのレストランへ。
壁がクリーム色で天井の丸い、感じのよいレストランだった。ピンクと黒のものすごい派手なセーターを着たお店のおばちゃんが、くるくる働きながら、だみ声でしゃべりまくっていた。それに対し、イタリア人男子たちが、なんだか微妙な表情で笑っているので、どうしたのかと思ったら、「彼女のミラノ訛りがものすごすぎて、誰も、何言ってるのかさっぱりわからないんだ」と、ジャンニ。スタジオのエンジニアさんなんか、ミラノ在住なのに、それでも全然わからないのだそうだ。
ゴルゴンゾーラとピスタチオのパスタを食べた。たぶんすごい美味しいのだと思うけど、小麦粉小麦粉の連続攻撃に胃が負けていて、あんまりたくさん入らない。イタリア人男子たちは、「これだよ、この味だよ!」と盛り上がっているようで、肉や魚も注文し、食べまくっている。悔しいが、いたしかたないのだった。

「あとは、シャワーのお湯が出さえすれば、今日はもう何もいりません」
ホテルへの帰り道で、石橋さんが天に祈った。すると、お湯が出るじゃないか。私が先に風呂に入り、次に石橋さんにバトンタッチすると、なんと、その後はもう水しか出なかったらしい。字義通りとれば、願いは叶ったとも言えるわけで、どうして天はこういう意地悪をよくするのだろう。私は悲しかった。それに、申し訳なかった。なのにこの日も、のび太みたいにグーグー眠ってしまった。



●3月3日 ミラノ

朝9時ごろ起きて、ホテルのカフェテリアでコーンフレークやクロワッサンを食べる。昼過ぎまで時間があったので、ゆっくり準備をしてから、散歩をした。スフォルツア城の城壁の前を通り、噴水なんかを見た。ショーウィンドウのジェラートに心惹かれて、大きなカフェに入る。
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私はジェラート三種盛り合わせみたいなのを注文し、石橋さんはクレープ。全部食べられないけど、夢みたいにカラフルで大きいデザート。

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それから、ドゥオモに行って、内部をちょっと見学した。ステンドグラスが美しい。くぐもった光が中空で交錯している。足下のタイルには花の模様。
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ドゥオモ広場から、またスタジオに向かう。途中の洋服屋で買い物した後、2時からスタジオでミックス作業が始まった。私は日本からのメールをチェックした。
レコーディングした曲のタイトルや、アルバム名を決めなくてはならない、という話になる。石橋さんが、以前ライブをしたという富山のお寺の掛軸に書かれていた、ある言葉を思い出して、教えてくれた。ネットで検索したら、それは仏教用語であり、「幻の中の真実」、それから「真実の中の幻」、同時にふたつの意味がある言葉らしい、とわかった。何かのタイトルに良いかもしれない。
「こんなに毎日、いろんなところにいって……見るものすべてが、幻のよう。本当は、私たちはすでに死んでしまっていて、魂だけでこの世をふらふら漂っているんじゃないか、という気がしてならない」
旅の間、石橋さんは、何度かそう話してくれた。

五時ぐらいから、また一人でミラノの散歩に出た。
どうしても醤油味が恋しくなって、ドゥオモのとなりのデパートの最上階の、回転寿司屋に入ってしまった。醤油、酢、米、そしてアサヒスーパードライ。
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心ひかれるネタは、サーモンとアボガドロールくらいしかなかったけど、四皿くらいたいらげたら、言いようのない喜びがこみあげてきた。ビールを飲み干してフハーッと息をつくと、テンションがどんどんあがってきた。八十年代パンクの物すごい髪型をした女の子がお会計してくれた。その髪型、日本のデパートだったら絶対バイトできないよ!
エスカレータを降りながら、「高い服ばっか売りやがって、デパートめ」と、誰もかれもにかみつきたいような楽しい気分になり、へらへら笑えてしょうがなかった。
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広場前のH&Mで試着しまくって服買った。トゥルルル〜とか歌いながら歩いてたら、地元民らしく見えたのだろうか? まさか! ありえないことに、イタリア人女性から道をたずねられた。しかも二人も。何考えてんだ、イタリア人。誰にでも聞けばいいってもんじゃないぜ。

スタジオに戻ったら、まだミックス作業中。
イヴァンというミュージシャンの男の子が遊びに来ていた。
ジャンニの紹介によると、「イヴァンは、イタリアじゃ有名なシンガーソングライターで、女の子にものすごく人気あるんだよ。彼のコンサートに行くと、女の子たちが『キャー♡イ・ヴァーン!!』って大歓声をあげるんだ、フッフッフ」とのこと。

夜、イヴァン含め、6、7人でレストランへ。どうやらアヒルをテーマにした店らしく、アヒルの置物や絵がたくさん飾ってある。ダニエレはサーモンパスタ、石橋さんはポルチーニのリゾット、私はスープパスタを食べた。イヴァンが頼んだモッツアレラチーズが来ると、みんなが「これは絶対日本にはない味だから、ちょっとだけ食べてみな!」と勧めてくれた。一口食べると、アラ〜、まるでケーキみたい。生クリームみたいにふわっとお口でとろける。

イタリア人たち、ものすごい早口でまたペラクチャと話をしている。
どういう流れだか、イヴァンの目の色がきれいなブルーだということが話題に上っていた。
「うちの小さい娘がね、僕の膝に乗って、顔をじっと見て、『パパの目の中に海があるわ!』っていうんだ」
イヴァン、さりげなく娘を自慢。っていうか、イケメンである上に、ピュアハートでもあるのだ、これは女の子に人気が出るはずだ。

その後、どういう流れだか、血液型の話になっていた。
「日本人は、血液型で性格がわかるって信じてるって、本当?」
とたずねられ、私たちが「そう思ってる人は多い」と答えると、全員、なんとげらげらと大爆笑!「まさか〜」、「血液型って何?」、「僕、日本に行ったとき、何度も血液型を聞かれたよ。女の子とか、必ず聞くの」「ありえねー!」。

しかし、その後どういう流れだか、星座占いの話になる。「ユウコ、誕生日は? ああ、それなら乙女座だね。乙女座の性格は……」と、ジャンニ、大真面目で語る。どっちもどっちじゃないか!もう、おかしくておかしくて、しかたがなかった。

レストランを出て、タクシーを待っていると、花売りの男の人がやってきた。「おねがい、ひとつだけでいいから買ってよ」という彼に対し、みんな迷惑そうに「要らないよ」と言いつつも、ちょっとだけ小銭をあげたり、あんまり関係なさそうな雑談をぺらぺらしたりしてる。それが私にはなんだかとってもおもしろく見えた。この翌日も、ジャンニは道ばたで傘を売りつけに来た人に、駅への道をたずねていたし、みんな、本当に誰とでも、どんどんしゃべるのだな。
タクシーがやってきて、走り出したかと思ったら、すぐにホテルについてしまった。ミラノの町、狭いんだか、広いんだか、よくわからない。

石橋さんが「やっとお風呂のお湯の出し方を発見した。別室にスイッチがあるから、それを操作すればいいのよ!」と言う。
心おきなくお風呂に入り、いろんな話をして、寝た。

http://www.youtube.com/watch?v=rKVUMLTwVq0&feature=related
↑人気歌手「イ・ヴァーン♡」のTV出演映像。甘い歌声、素敵すぎます。ベースを弾いているのが、われらがダニエレ。



●3月4日 ミラノ→ベネツィア

荷物をまとめて、タクシーに乗り、駅へ向かう。今日は、電車でベネツィアに行くのだ。小雨が降っていた。しかし、その前に、ずっといっしょだったベース奏者のダニエレとお別れしなくてはならない。自由自在にすごい音を出すダニエレ。いつも目がキラキラしているダニエレ。優しくて話しやすいダニエレ。順番に抱き合って別れを惜しんだ。ダニエレ、きりっと通る声で「Thank you for beautiful experience!」と言って、片手を上げる。思わず涙ぐむ。

実はこの日、ベネツィアでライブがあるはずだった。だが予定していたライブハウスで前日に軽い不祥事があったか何かの理由で、ライブは中止になってしまったらしい。
「でも、ホテルをとってあるから、一応ベネツィアにいって、ちょっと観光して、あしたローマに向かおう」
とジャンニ。ちなみに「あんまり眠れなくって、体調悪いんだよね……」とのこと。

ミラノ中央駅に到着。ハムととトマトとサラダ菜の入ったサンドウィッチを買い、五番線からユーロスターに乗る。
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「ベネツィアは、本当に美しいんだよ。久しぶりで行くんだ。ああ、楽しみ……」
とジャンニが言ってるとき、電車が走り出した……かと思ったら、五分もしないうちに車庫の立ち並ぶ場所で、一時停止した。
「オオ、ここがベネツィアかあ!」
「まあ、きれい!あれが寺院ね!」
とみんなでひとしきり小芝居を打って、楽しんだ。

車内でお菓子を食べていたら、「僕、手相見れるよ」とジャンニが突然言った。じゃあ見てもらおうか、と私が手を出したら、「なんだこの手!?」と驚かれる。
「こんなの初めて見たよ。これは、ヨーロッパ人の間では、『猿の手』って言われてる珍しい手相だ」
私の手には、横に一本、太いまっすぐな線がある。日本の雑誌とか見ると、ますかけ線と書いてあるやつだ。
「モンキーハンドは、天才の手相なんだよ。天才か、犯罪者か、紙一重ともいわれる」
「じゃあ、私は天才の猿、ジーニアス・モンキーね。キーキー」
と言うと、ジャンニは笑い出し、「いやあ、珍しい」と大喜びだった。同じ手相の人、私のまわりにはけっこういるけどなあ。

四、五時間後、ミルキー・グリーンの海が見えてくる。青緑といったらいいのか、水色、黄緑色といったらいいのか、よくわからない不思議な色。
「ベネツィアだ。たぶん、このあたりのラグーンが特殊だから、こんな色になるんだと思う。これは、日本語では何色っていうの?」
とジャンニにたずねられ、私たちは答えられない。
「うぐいす色とも違うし……きっと近い色の名前があると思うけど……」。

ベネツィア駅を出て、雨の降る中、地図を見ながらホテルに向かう。傘を差しながら、重いスーツケースを引っ張りつつ、石畳の道を歩くのは、けっこう大変だった。水路の横を延々と歩き、階段を上り下りし、ホテルにたどりつく。路地の奥の一画に、ブロンズ像のライオンが二頭いて、そこが入り口だった。

三人でいっぺんに泊まれる、大きい部屋が空いているというので、そちらに変えてもらう。
「三人で同じ部屋に泊まったなんて……日本のみんなには内緒だよ」
とジャンニ、すきあらば的にギャグをかまして、ウィンク。
Tiziano、と札のついたドアを開けると、そこには広々とした素晴らしい部屋が……!中央には、ティッツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」の絵がかけられ、その下には豪華なダブルベッドがすえられている。そして部屋のはじっこに、二つのシングルベッド……。

「僕は、このちょっとした仕切りの向こうにあるシングルに寝るよ」
とジャンニ。「じゃあ、私はこっちのシングルに寝る」と石橋さん。「いやいや、石橋さん疲れてるだろうから、ダブルベッドに寝てよ」と私が言うと、「ちぎちゃんは本を書いたりしてるんだから、こういうときにおいしいところを持ってってくれないと」と石橋さん、よくわからない理屈をこねる。結局、私が偉そうなダブルベッドに一人で寝ることになった。

窓を開けて煙草を吸っていると、灰色の縞の猫が、雨をしのいで部屋の中に入ってきた。うちで飼っている猫と同じ柄だ。思わず撫でる。しかし、同じく猫を飼っているというジャンニ、のら猫には厳しいようで、「オウ、バッド・ネコ……」と眉をしかめた。猫を抱えて外に出したが、何回も戻ってくる。叱って、窓をしっかり閉めた。

散歩に出る。水上バスに乗った。
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「運河があって、昔の町があって、歓楽街があって……でっかい浅草みたいな感じかもね」と石橋さんが言う。でっかい浅草、と思うと、見るものすべてが珍しくて手に負えないベネツィアも、なんだか把握しやすくなるような気がする。
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すごい雨が降っていて、足がすっかり濡れてしまう。バスを降りて、おみやげ品の店で賑わう通りを歩いた。このみやげもので満ち溢れてる感じも、そういえばちょっと浅草っぽい。石橋さん、仲良しの友達へのおみやげを買っていた。ジャンニ、ベネツイアングラスでできた虫眼鏡を買っていた。

カフェに入り、白ワインとりんごのタルトを注文。おしゃべりしていると、黒い髭で顔中おおわれた青年がやってきた。楽器を持っている。ジャンニの知りあいらしい。「紹介するよ。彼が、今日やるはずだった僕らのライブの、オーガナイザー」。「ライブ、中止になっちゃって、ほんまにすみません……」と青年、平謝りしている。
「ちなみに、彼の名前はめちゃくちゃ珍しいんだよ」、「なんて名前なの?」、「ピエーロ・ヴィットロ・ボン」。どうおかしいのかイマイチわからないのだが、ジャンニは言いながら、大ウケしている。ちなみに、ピエーロはサックス奏者らしく、「新しいサックス買ったんだ……ヴィンテージなんだ……」と、ジャンニに見せていた。

彼はベネツィア在住だったが、最近、別の町に引越したということだった。「ベネツィアは町が美しすぎて、住んでると憂鬱になる。あと、物価が高すぎ」。美しい町が、必ずしも住むのに適しているというわけではないようだった。「ベネツィアには車がなくて、移動は全部船だからね。見渡す限り水だし。イタリア人は、ベネツィアが好きだけど、決してベネツィアに住みたいわけじゃないの」とジャンニ。

ピエーロの友達の、パット・フェロというカメラマンの女の子も現れ、彼らの案内で、レストランに連れていってもらった。「ベネツィアには観光客向けの高価な店も多いんだけど、地元民がよく利用する安くて美味しい店も、裏通りにはあるんだ」とのこと。出会う人みなが、とにかく親切すぎる。
屋根のある路地裏は、昔行ったモロッコのスークにもちょっと似てた。若者がお店の前にたむろして、ワインを立ち飲みしている。目的の店が混んでいるので、近くのワインバーでちょっとだけ待った。
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何かの拍子に私が、「ピエーロ・ヴィットロ・ボン」と言うと、「きみの発音は、イタリア人よりよっぽど上手だよ!デジカメで動画とるからもう一回言って!」と頼まれた。カメラの前で名前を言ったら、みんなウケていた。そんなにへんな名前なのかな。「私の名字も、チギラっていって、変わってるから、気持ちよくわかるよ」と言ったら、「つらいよね。お互い……」と肩をすくめるピエーロ。いい人だ。パット・フェロが一眼レフで私たちの写真を撮ってくれた。

レストランで、ベネツィアの郷土料理を食べた。ショウケースに並べられた前菜を見て、私と石橋さんのテンションが一気に上がった。セロリとタコのマリネ、小エビとアボガドのサラダ、オイルサーディン……魚だ〜!
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「日本人は魚介類を見ると、テンションが上がるんだね」と、ささやきあう、イタリア人たち。
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前菜の盛り合わせを出してもらった。美味しかった。食べたことのない珍しい料理もいくつかあった。白身魚をこねて作られたという、真っ白なミルクっぽい味の前菜に、「味足りないなあ」と調味料をかけようとしたら、「ノー!ノー!」とピエーロに止められる。これはこういうものらしい。小麦粉をこねたお好み焼きっぽい前菜もあった。「イタリア人は、何かを捏ねたり、練ったりする料理が好きだねえ」と、日本人たち、こっそり言い合う。
めちゃくちゃ美味しかったけど、オリーブオイルに胃が負けて、今回もそんなには食べられなかった。他の人が頼んだ、アンチョビとタマネギのパスタや、魚の卵やイカやホタテ貝の入った豪華なパスタをちょっとだけもらう。これもすばらしくおいしかった。

食後に、クッキーをデザートワインに浸して食べた。私はデザートワインが好きだ。甘くておいしくて、ハー、幸せだ。
「他にもデザートはいかがですか?ティラミスとかありますけど」
ウェイターさんにそう言われた瞬間の、ジャンニの表情が、みものだった。「ハッ!」と胸を突かれたような、落雷に打たれたような、まるで恋に落ちてしまったような顔をしたのだ。大好物だそうです。
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ティラミスが運ばれてきて、ジャンニ、うれしそうに教えてくれた。
「ティラミスの意味って知ってる?」
「知らない」
「イタリア語でね、ティラは『引っ張る』という意味なの。で、スは『上に』っていう意味なの。だから、気分を上に引っ張り上げるっていう意味なわけ」
「ティラミ・スは、つまり、食べればテンションが上がりまくるお菓子ってことか」
「そう、ティラミ・スー!なんだよね」。
ジャンニが、「スー!」を、裏声になるほど高い音程で叫んだので、私たちげらげら笑った。
「ちなみに、『下に』のことはジュ、っていうんだよ」
「じゃあ、『ティラミ・ジュ〜』って言ったら……」
「うん、テンション下がりまくりっていう意味」。
私たちは、それから何度も酔いにまかせて「ティラミ・スー!」「ティラミ・ジュ〜……」と言って遊んだ。

深夜にレストランを出る。夜のベネツィアの美しい小径で、パットやピエーロ、ピエーロの彼女と順番に抱き合ってお別れ。歩いてホテルまで帰る。行きは水上バスで時間がかかったが、歩くとけっこう近かった。

この夜、とってもティラミ・ジュ〜……な事態が巻き起こってしまった。ジャンニが腹痛を起こし、全然眠れなくなってしまったのだ。ティラミスの食べ過ぎ……というのももちろんあるだろうが、彼はひどい風邪を引きかけおり、石橋さんが夜中に起きて、キヨーレオピンなどをあげて、看病をしてあげたという。しかし私はその間も全然気がつかず、相変わらずのび太のように、しかもでっかいダブルベッドで、ぐっすりと寝ていたのだった!おそるべし、だ。

翌日ホテルを出た後、ジャンニは声をひそめて教えてくれた。
「昨日、本当に怖かったんだよ」
「眠れなかったんでしょう? 大変だったね、だいじょうぶ?」
「いや、それだけじゃなくてね……壁のところに悪魔の影がうつるのが見えた!あのホテルにはなんかいたかも……」
なるほどー!悪魔かあ! 西洋と東洋のオバケ観の違いに、私が新鮮な驚きを隠し得ないでいると、ジャンニはさらに続けて言った。
「友達に、すぐにオバケを見ちゃう男がいるんだ。彼とはたぶん、ツアー最終目的地、カターニャで会えると思うよ」

つづく
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by chigirayuko | 2009-02-26 03:24 | 2009年イタリア日記
イタリア日記3
●3月5日 ベネツィア→ローマ(ライブ)

朝起きたら、ジャンニのベッドの上に、どこから入ったのやら、きのうの猫がちょこんと座っていた。猫をほっといて、ものすごいスピードで荷物をパッキング。ホテルの廊下で熱いコーヒーを一杯ひっかけ、重いスーツケースを引っ張って、ベネツィア駅へ。今日はローマまで、約4時間の旅。ジャンニがユーロスターのチケットを買ってくれた。70ユーロくらいで「高いなあ」と思ったけど、東京大阪間くらいはゆうに移動していることを考えると、ちっとも高くないのかもしれない。
それにしても、なんという大移動の連続だろう。
なんというおかしな、信じられないツアーを、音楽家たちはするのだろう。

電車の中でたくさん寝る。途中でトスカーナの田園風景を見ることができた。茶色と緑と金色に輝く畑がどこまでも続く。石橋さん、お気に入り映画のワンシーンにおんなじ場所が登場するとのことで、「今まで見た風景の中でいちばん好きかも」とにこにこしていた。

四時間後、ローマ駅に到着。
ピカピカのナイキショップやレストランが併設されたでっかい駅だった。この日のライブのオーガナイザーが車で迎えに来てくれていた。長くて分厚いもみあげ、メガネに口ひげ、優しい目。見るからにいい人そうな風貌の男性だ。彼には、すぐに「バッフルマン」というあだ名がついた。「バッフル」ってイタリア語でヒゲのことみたい(合ってるかわかんないけど)。
バッフルマンの車のトランクは、空のペットボトルや、他にもなんだかよくわからない素敵なガラクタでいっぱいだった。そこに全員のスーツケースをむりやり詰めこんで、出発。

「ローマはすっごい変なところなんだよ。何もかもが、過剰なんだ」とジャンニが言う。「見て、ほら、あれは紀元前に建てられた壁」。左を見ると、朽ちかけた茶色い壁に、でっかい人間の顔のレリーフがくっついて、こちらを睨んでいる。右手の公園では、すっきりと晴れた空に向かって、巨大な松の木が幾本も伸びている。美しい光景だけど、紀元前の遺跡があまりにも無造作にそこかしこにあるというのは、確かにどこか奇妙な感じがした。

バッフルマンに荷物を託して、ローマの町を少しだけ見物した。
白い大理石でできた大きな門をくぐると、巨大なオベリスクのそびえたつ広場に出た。
「大都会だけど、ミラノよりもきれいだね」と、石橋さん。「建物がどれもでっかいねえ」と私。
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スペイン広場まで歩き、近くのオープンカフェに入る。
舗道にはみ出たテーブル席に座り、私はコーヒー、石橋さんとジャンニはレモンティーを飲んだ。お米とトマトソースとチーズを混ぜて揚げてある、イタリアのコロッケも食べた。
石橋さんが、「レモンティーのレモンが美味しい。ちぎちゃんも飲んでみて」と勧めてくれた。するとジャンニ、ふふふと笑って、「イタリア以外のレモンは、みんなにせものだ」だって。世界中のレモン農家の人たちを怒らせてしまいそうな台詞だが、ジャンニ、さらに続けた。
「さらにその中でも、本当に『本物』と言えるのは、イタリアのシシリー島のレモンだけ。ま、僕の故郷なんだけどね。シシリー島のレモンは香りが強くて、レモン畑から数キロ先にいても、いい香りが漂ってくるんだ」
なんだ、ふるさと自慢か。でも、ジャンニの話を聞いているだけでなんだか私までうっとりしてきた。レモンの香る太陽の島、シシリー。どんな素晴らしい場所なんだろう。みかんの美味しい四国みたいなとこだろうか? 
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突然、お天気雨が降ってきた。
細かい雨のしずくが、空中で金色の帯のようにきらめきながら降り注ぎ、人々が少し早足になる。左手にはスペイン広場。階段の上の大きな建物が、日に照らされて白く輝いている。足が長く、腰が嘘のように細い美しい女の人たちが往来を行きかう。テレビカメラと、リポーターらしき美女がカフェの前で何か話している。
「ここに一日座ってたら、きっとイタリアの女優や有名人をたくさん見られるよ」
と、ジャンニが言う。

カフェを出て、大きなモニュメントのある広場を抜け、屋根のあるショッピングモールに入った。するとすぐ横で、白髪の威厳に満ちた老人が、大勢の人々にマイクを向けられて何やらしゃべっている。カメラのフラッシュが光る。それを見て、ジャンニがくすくす笑っている。
「あれ、誰?」
「イタリアの有名な政治家だよ。言ってみれば、アベ・シンゾーみたいな人」
感心したけれど、ちっとも現実感がない。

石畳の敷かれた道を、いくつもの門や壁を越えて歩いた。迷宮に入ってしまったような感覚だった。お金持ちの立派な家の門が開いていたので、少しだけのぞきこんだら、中庭に大理石の像がいくつも並んでいた。ガードマンがやってきそうになったので、慌てて逃げた。
さらに進むと、車通りの多い道に出た。渋滞している車の中をのぞくと、毛皮と宝石を身にまとった老婦人が威張って後部座席に身を沈めている。市庁舎か何かの大きな建物が、こちらを威圧せんばかりに青くライトアップされてそびえたっている。ローマは偉大な都市だなあ。
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タクシーに乗る。
運転手さんに頼んで、「コロッセウム」の前を通って、ライブハウスに向かってもらった。
コロッセウムではローマ時代、人間とライオンを戦わせていたらしい。「エイコはしし座、ライオン、ライオン」とジャンニが言うので、石橋さんが「じゃあ、私は今夜、コロッセウムに泊まるよ。そんで、あしたの朝いちでローマ人と戦う」と言うと、ジャンニ大喜び。その後、会った人全員に、「エイコはライオンだから、今夜はコロッセウムで寝るんだぜ」と報告していた。

フォロ・ロマーノの横を、背中の四角く曲がった老修道士が歩いている。自分が21世紀にいる気がしない。目の前の巨大な黒い三角の遺跡を指差して、ジャンニが言った。「あれはピラミッド。エジプトから、そのまま船に乗せて、運んできたんだよ」。それを聞いて石橋さん、「くるってる……」とつぶやいた。まったく、ローマ人たちの半端ない権力欲を思うと、気が遠くなってくる。遺跡の圧倒的な存在感に、遠近感や時間感覚が変になってしまうそうになる。まわりの壁に、空に、道路脇のネオンに目を移すたびに、映画やら小説やら、どこかで見た物語の場面が開けてしまいそうで、めくるめく幻想、終わらない劇中劇に飲みこまれてしまいそうになる。

その日のライブ会場は、ピラミッドのすぐ近くだった。
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過剰でヘンテコなローマの町並みとはうってかわって、その「Sinister Noise」という名前のクラブは、日本にもありそうなごくオーソドックスなライブハウスだった。入口近くに、若者好きしそうな60年代風の内装のバーがあり、階段を下ると真っ暗闇の四角いスペースにステージと楽屋があるという構造。お腹がすいたので、近くのバーガーキングでハンバーガーを食べてから、サウンドチェック。私はビデオをセット。それから店の外でタバコを吸ったり、ワインを飲んだりして、会場時間を待った。

対バンはひとつだけで、E.I.Jという若い男の子たちのバンド。大きな耳輪をした子と、メガネの子と、ドレッドの子、みんなやたらと礼儀正しい。それだけでなく、ライブハウスの店員サラ(頭に花の髪留めをつけたカワイイ子)やその彼氏のロレンツォというひげもじゃの青年、出会う人みんなが、またもや、明るくて気持ちのよい人たちばかり。

ライブ始まる。
E.I.J.は、「ポストロック」というのだろうか、現代っ子らしい、きれいでエモーショナルなインスト曲を演奏していた。
続いて、石橋さんとジャンニのデュオ演奏が始まった。私の撮影してたビデオカメラ、本格的に壊れてしまったようで、すぐに止まってしまってしまう。慌てふためいてビデオをガチャガチャ開閉しながら、私はひそかに、カンドーしていた。あんまり褒めてばかりいてもなんだけれど、こんな遠くまで来て、毅然として演奏に向かう二人の姿に胸を打たれてしまった。
ラスト近くにジャンニのソロがあった。のどとほほをいっぱいに膨らませて、長い高音を引っ張りだすジャンニを見て、涙が出た。
甘いものと日本が大好きなジャンニ。日本の禅寺で修行してたジャンニ。でも修行中、真夜中にこっそり寺を抜け出しては、コンビニでアイスクリームを買って食べていたというジャンニ……。

きっと彼は、日本のみならず、世界中のいろんな場所に行って、いろんな演奏をして、いろんなものを見てきたのだろう。どんなに言葉を尽くしても、彼の見てきたものと同じものを見ることはできない。言葉はそもそも不自由で、しかも私たちが互いに使っているカタコト英語なんかでは、日常生活の意思疎通さえままならない。
でも、こうしてカエルみたいにいっぱいに喉を膨らまして、高音を奏でる彼の姿を見ていると、彼が禅寺で瞑想しているときに、あるいは、コンビニで買ったアイスクリームをこっそり食べているときに見ていた、なにかきれいで優しいものが、私にも見えてくるような気がする。そんな気分になってくる。
静寂ののち、石橋さんが強く鍵盤を叩き、「帰郷」というインスト曲の第一音目を鐘の音のように打ち鳴らした。

だが、そのとき、そのとき……。
興奮した声で、私に語りかけてきた者があった。
「ね、ね、あれ、君の友達!?」
闇にまぎれてよく見えないが、それは妙にノリの軽い、中年イタリア人のようであった。私が軽くうなずくと、
「インクレディブル……全ての音がすばらしい!まじ、やばくない?やばすぎでない?」
私が対応に困っていると、彼はよろけた拍子に、私のバッグに景気良くお酒をこぼした!
「……あ、ごめん」
そして、「いやあ、ごめん、ごめんね……」と言いながら、じょじょに私から遠ざかっていってしまった。なんなんだ、あいつ!?
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ステージを終えて、「大丈夫だったかな、なんか落ち着かなかったよ〜!」とプルプルしている石橋さんに、涙ながらに「すごいよかったよ〜」と凡庸な讃辞の言葉を送った。そのまま上の階のバーで飲んでいると、さっきの、お調子者の中年イタリア人がやってきて大声で言った。
「いやあ、良かった、良いライブだった!きみら、まじすごくない!?」
私たちがポカンとしていると、彼はクルッとその場で回り、ポーズをつけて自己紹介した。
「こんにちは、俺の名前はマッシミリアーノ! ヨロシクね!」
そして、レシートの裏紙にサラサラと自分の名前と連絡先を書き、石橋さんに向かって、「ねえ、僕のために歌ってよ!マッシミリアーノ~♪って歌ってよ!」などとからんでいる。
どうやら、ジャンニの幼馴染が連れてきた友達らしいのだが、まわりの連中はひたすらあきれ顔。要するに、単なるめんどくさい酔っ払いだったわけだが、「マッシミリアアノ~~~♪」と長い手足をくねくねさせて歌い踊る彼を見ているうちに、だんだん面白くなってきてしまった。
「マッシミリアーノ!」とコールすると、彼はまた鮮やかな身のこなしで回転し、「マッシミリアーノ!」と自分の名を叫んでビシッとポーズを決める。そのあまりの自己プロデュース能力の高さに、石橋さんもしみじみとつぶやいていた。
「ああいう人を見ると、私みたいに地味な人間よりも、彼のような人間こそが、ミュージシャンをやるべきだと思うよ、ホント……」
そのほかにも、私が感極まってさらに落涙したり、ローマの夜はとにかく変であった。

バッフルマンとロレンツォが車でホテルまで送ってくれた。ライブハウスからちょっと離れた場所にある立派なホテルだった。ついたとき、ちょうど日本人観光客の大集団が、バスでどこかに出かけようとしていた。こんな夜中にどこに行くのだろう。緑のカバーのついたベッドで心おきなく眠った。窓の外から、救急車か何かのサイレンの音が小さく聞こえた。


●3月6日 ローマ→ミラノ
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この日は、特に大移動だったため、朝早く起床。またもやすごい勢いで荷物をパッキング。ホテルの前の喫茶店でカプチーノを飲み終わったころ、バッフルマンとロレンツォが車で見送りに来てくれた。
昨夜のマッシミリアーノの話題で盛り上がった。「ああいう積極的な人が、女の子にもモテるのかなあ」と誰かが言ったら、バッフルマンがふふふと笑って、「いいや、マッシミリアーノはバッフルがないから、モテないよ」と言ったのが、なんだかとってもおもしろかった。
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車の窓から、ゴルフ場みたいなだだっ広い場所に、とんでもなく背の高い松の木がいっぱい生えている景色が見えた。ローマはでっかい宮崎県みたいなところでもある、と私はなんとなく思った。
ローマ駅で、バッフルマンらと涙のお別れ。
構内の売店で、ちょっとだけ甘いパンにチーズとサラダ菜と生ハムがはさんであるパニーノを買って、ガス入りの水も買って、ユーロスターに乗った。ミラノまでは八時間くらい。確か、たくさん寝てしまったと思う。


いったい何度目だろう、またミラノに戻ってきた。
タクシーに乗って、ジャンニの友人の女性、マルティナの家に向かう。空き部屋を旅行者に格安で貸しているという。

大きなマンションの呼び鈴をこわごわ押すと、マルティナが出てきて、慣れた様子で家の中を案内してくれた。これがまた、インテリア雑誌に出てもおかしくないような、おしゃれな家なのだった。カラフルなベッドカバー、壁にはポストカードが貼られ、テーブルの上にはガーベラの花とお香立て……。
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石橋さんがつぶやいた。
「これは、あれだ。オリーブ少女の部屋だね」
まさしく、そうだった。ゲンズブールの「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」のポスターがステレオ台の上にさりげなく畳んでおいてあった! しかし、私たちは長旅のまっただ中。スーツケースを床におっぴろげ、中から昨日洗ってまだ生乾きのパンツや靴下を引っ張り出して部屋中に干したら、オリーブ少女の部屋は、ものの五分で、ただのちらかった部屋に変貌してしまった。
「マルティナに怒られませんように……でも、このほうが落ち着くねえ」
「うん、落ち着くねえ」

夜に「ZARA」という地下鉄の駅で、ジャンニたちと待ち合わせをしていたので、それまでの時間町に出て、大通りで買い物をした。石橋さん、靴が壊れたと言って靴を買い、今まで履いていたのを道のゴミ箱に捨てていた。本当に豪気な人だ。
お腹がすいていて、本当はラーメンが食べたかったのだけど、もちろん見当たらず、しかたなく可愛らしいお菓子屋さんに入った。小さなパイやらケーキやら、ショウケースを見ながら細々注文すると、出てくるもの全部があまりに美味しくてビックリ。サクサクしたパイ生地と、濃厚なクリーム。日本で食べるケーキとは完全に別物だ。ジャンニへのおみやげとして幾つか買ったら、お店のお姉さんが包み紙にきれいにリボンをかけてくれた。

7時ごろ、タクシーで待ち合わせのZARA駅へ。
赤い眼鏡をかけたお調子者の「いかにもイタリア人っぽいイタリア人」の運転で、駅に到着。
長い髭に長髪の男性に呼び止められ、「誰?」と怯えていたら、かたわらの車の中から、ジャンニも登場。長髪の男性、Xabier Iriondoはこの日のセッション相手のミュージシャンだったのだ。
車に乗り込むと、シャビエの彼女、ヴァレンティーナを紹介された。ベリーショートの、笑顔のとんでもなく可愛い女の子だった。


車に乗ること数十分、この日のライブ会場に到着した。そこは、今までに見たことがないような場所だった。
古い倉庫のような建物が何軒か立ち並んでいる。そのうちのひとつに入ると、左手には暖炉、後方にはバーカウンターがあり、若者たちが集って何やらしゃべっている。足下の床にはなんと墓石らしき大理石が埋めこまれていた。本物なのだろうか。
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ステージには何もなく、どうやらこれからアンプなどが運びこまれていくらしい。突然、大きな獣がドアから入ってきた、と思ったら犬だった。汚れたモップみたいな毛並みをしている。誰かが「アルベルト!」と呼んでいる。犬の名前らしい。
バーのほうで誰かの怒鳴り声が聞こえると思ったら、白髪の老人が若者相手に文句を言っている。もめ事かと思ってよく見ると、老人は、首から白い紙をぶら下げていて、そこにイタリア語で何か書いてある。彼の眼鏡は壊れてしまっていて、ゴムで耳にかろうじてとめられていた。
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詳しいことはわからないのだが、このあたりの建物は、取り壊し寸前だったのが、若者たちが住みついて、食べ物を交替で作ったり、こうやってライブを開催したりして、仲間同士で自主的に運営をしている、らしい。でも、もとは墓地だった場所に上から建物を建てた、とも聞いた気がする(どれが本当か、よくわからない)。ちなみに首に紙をぶらさげた老人は、身寄りがないためにここの居住者たちが保護しているということだった。大きい犬、アルベルトはゴムのおもちゃをくわえて、ずっとはしゃぎまくっている。彼の存在のせいか、不思議なサーカス小屋にまぎれこんでしまったような気分になった。
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人々がテーブルと椅子を並べ出し、夕食が運ばれてきた。トマトとルッコラとジャガイモのパスタ。パスタは小さな、耳のような形をしていた。パンと生ハムと、大きなマッシュルームの入ったサラダ。パルミジャーノチーズをかけて食べる。

だんだんと人が増えてきた。ビールを飲みながら、ライブが始まるのを待っていると、不意に日本語で話しかけてくる人がいた。「こんにちは、日本人の方ですよね。はじめまして」。その方は佐藤ガクさんというミラノ在住の日本人ミュージシャンであり、有名なテルミン奏者だということだった。「あ、どうも」などと言いつつ、なんとなく緊張してその場に固まっていると、ものすごく背の大きなイタリア人が、英語で話しかけてきた。
「ねえねえ、日本人の人。俺はスシが好きなんだ。でもさ、スシを食べると、その日は必ず変な夢を見るんだよ!ねえ、なんで!?」
そんなの知らない……。
いろんなことがいっぺんに起こりすぎて恐ろしくなった私、半べそかいて建物の外に出ると、妙にぽやーっと上の空の顔でベンチに座っている、若いメガネの男の子が、例の犬、アルベルトをあやしながら、私に大声で話しかけてくる。「この犬、なんとかかんとか……!」「え、何!?」「この犬は、×××」「え、どういう意味?わかんないよ……」「犬!」。私が途方に暮れていると、すぐ傍らに石橋さんとジャンニと佐藤氏が立っていて、肩をすくめていた。「ハハ、あの人、見るからにぶっとんじゃってるから、相手しないでいいよ」と佐藤氏。「え?そうなんですか?ぜんぜんわからなかった……」。私はどうもそういうのに鈍感らしい。まだライブも始まらないうちから、すっかりくたびれて、ひどく落ち込んでしまった。

石橋さん、ジャンニ、シャビエの三人でのライブが始まった。シャビエは日本の「大正琴」を改造したという不思議な楽器を使っていて、そこにビー玉を落としたり、刷毛みたいなので擦ったりして、複雑怪奇な音を出す。ジャンニ曰く、その楽器はすごく物が良いらしい。私には、物の良し悪しはよくわからないが、茶色い髭に長髪という風貌の男性が、小さな人形を弦の上に散らばしたり、すりこぎのようなもので楽器の腹を擦ったりしているさまは、喩えて言うなら魔法使いが秘薬を作っているか、小さな男の子が部屋のすみっこで一人で遊んでいるかのようで、見ていてとてもおもしろい。シャビエの演奏、他の二人の奏でる曲を幻想的に膨らませていく。もっと聞いていたいと思っていたら、いつのまにか終わっていた。

ライブ後、「疲れてしまったから、先にタクシーで帰ろうかと思う」と言ったら、みんな「俺らももう二十分くらいで帰るよ」とのこと。外の肌寒い空気に当たりながら、みんなとビール一杯だけ飲んだ。佐藤氏、「このジャンルの音楽は、やっている人間の数は少ないながらも、世界中の人とつながれるから面白いよね」とミラノ在住アーティストならではの話をいろいろしてくださり、自転車で颯爽とご自宅に帰っていかれた。私たちもシャビエに車で送ってもらって、マルティナの家に戻った。
「なんか途中バッドになっちゃってゴメンね……」と言ったら、石橋さん、「いやいや」と笑っていた。お風呂に入り、ベッドに寝転がって、今日なにがあったかをノートに書いていたら、いつのまにか眠ってしまっていた。
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by chigirayuko | 2009-02-25 03:23 | 2009年イタリア日記
イタリア日記4
●3月7日 ミラノ(ライブ)

親切&実力派&良い楽器持ってる、Xabier Iriondo氏は、世界の珍しいレコードや変わり種ギターを販売するお店のオーナーらしい。今日のライブは、その店で行われるらしい。

シャビエの自宅での、お昼ごはんに招待してもらった。
地下鉄の切符をどうにかこうにか買い、乗り換えを駆使して、昨日と同じZARAの駅へ。
シャビエとヴァレンティーナが車で迎えに来てくれていた。

リモコンで開く大きな門をくぐると、美しい庭が広がっていた。オリーブの木にアコースティックギターがくくりつけられている。どこかで鳥が鳴いている。シャビエの自宅は、TV番組「渡辺篤志の『建もの探訪』」が今にも収録に来てしまいそうな、すばらしい一軒家だったのだ。ドアを入ってすぐには、黄色い壁で天井の高いダイニングキッチン。居間の棚には、珍しいDVDがずらりと並ぶ。地下にはシャビエの録音スタジオと、絵描きであるヴァレンティーナのアトリエがある。階段を上ると大きなベッドのあるゲストルーム。ジャンニはここに泊まっているらしい。

お昼ごはんをいただいた。日本では食べたことがないような、複雑な味のドライトマトとオリーブ。ドイツのサラミは、シャビエの仲良しである、ダモ鈴木さんからの贈り物だとのこと。ヴァレンティーナ特製の、ナスとひき肉のオーブン焼きは絶品。おいしい赤ワインをガブ飲みしたかったけど、やっぱりそんなにたくさんは食べられず。

親切すぎる男、シャビエ。いったいどういう人なのかというと、90年代は、イタリアの大人気バンド「After Hours」のメンバーとして、めまぐるしく活動していたという。しかし、バンドが大きくなるにつれ活動がルーティンワークに堕していくのを苦慮し、30歳でバンドをやめ、自分の店を開いたそうだ。「After Hours」時代のプロモーションビデオを見せてもらった。メンバーが女装して登場するスプラッタームービーみたいなのとか、パーティーとダンスの派手なのとか、ジャン・ピエール・ジュネ風のファンタジックなのとか、どれも大変凝った作りだった。
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テラスのベンチに腰掛けて、ひとり庭を眺めた。そういえば、日本でもイタリアでも、なかなかこうやってゆっくり日を浴びることはなかったなあ。緊張していた心がほどけて、なぜだかまたぽろりと涙がこぼれた。鳥の声を聞いていると、心の洗濯がされていくかのようだ……。向かいの家の垣根から、腰の曲がったおばあさんがイタリア語で何やら、話しかけてくる。わからないので、とりあえず「チャオ!」と言ったら、嬉しそうに笑っていた。おばあさん、玄関先の柱に一輪の造花をくくりつけて、また家の中へ消えてしまった。

近所でマーケットをやっているというので、ヴァレンティーナと石橋さんと三人で出かけた。野菜や魚、服や靴、下着や食器などどが道路いっぱいに並んでいる。光の加減なのか、花屋に並ぶ花が、日本よりもひときわ色鮮やかに見える。
イタリアではこの翌日が、「男性が女性にミモザをプレゼントする日」であったそうで、やたらとミモザが目につく。ミモザなんて、今まで意識したことなくて、「ミモザサラダの語源の花」としか思ってなかったけれど、こんなに枝いっぱいに咲き誇る、強烈な印象の花だったとは。その黄色は、太陽の色、光そのものの色のように輝いていた。
マーケット、あんまりいいものが見つからなかったので、ヴァレンティーナがこの界隈のカワイイ洋服屋さんを何軒か案内してくれた。ヴィンテージの服や靴、アクセサリーをたくさん見て、カフェでハーブティーを飲んで、おしゃべりして、女子だけの楽しいひとときを過ごした。

ライブの時間が近づいてきたので、シャビエの店「Sound Metak」へ向かった。
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たぶん、マニアにはたまらない、夢のような店なのだと思う。壁に珍しい楽器がずらりと並んでいる。真ん中のラックにはシャビエの厳選したCDやレコード。片隅には、例の大正琴を改造した楽器と、小さなスクーター。日が暮れてゆくにしたがって、店の中に人が増えていく。そしてライブが始まった。
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この日の演奏は、そのまんまCDになってもいいくらい、完成されているような気がした。終了後のジャンニが、「今日は、かなり良かったと思う」と本当に幸せそうなスマイルを浮かべていた。

夕ご飯はどうしようかという話になり、シャビエが言った。
「もしかしてきみたち、まだイタリアのピザを食べていないんじゃない?……信じられない!じゃあ、今夜はピザだ、いいね?」
うん、本当はラーメンが食べたいけど、ピザでもいいぜ!

店から道を一本はさんで隣の、すてきなイタリアンレストランに入る。白ワインを注文し、何十種類もあるピザのメニューの中からよさそうなのを選んでもらった。水牛のモッツアレラチーズと、トマトのピザが出てきた。トマトそのものの味が濃い。生地の上にしみ出したトマトの果汁が、チーズのミルク分と混ざり合い、そんなに調味料加わっていないはずなのに、味噌汁飲んでるみたいに濃厚な味がする。水牛のモッツアレラチーズはとっても高価だそうで、それを聞いて、一生懸命に食べたのだが、いかんせん一枚が大きすぎるので、やっぱり食べきれないのだった。
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シャビエが、アレハンドロ・ホドロフスキーの映画が好きだという話から、サーカスの話になる。
ジャンニの夢は、「ジャンニ・サーカス」を作ることなのだそうだ。
もし、自分たちがジャンニ・サーカスのメンバーだったら……みんなで役回りを決めた。
石橋さんはしし座だから、ライオンとして火の輪くぐりをする。モンキー・ハンドを持つ私は、猿としてものまねなどの芸をする。ヴァレンティーナはサーカスの踊り子。シャビエはギター演奏。シャビエの友達の男子たちは、ピエロと、それからマイクを片手に客入れをする。
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実現するといいね、「ジャンニ・サーカス」!

サーカスの話から、舞台の話になって、ピナ・バウシュの話になった。
一時期はパリにも住んでいたというジャンニは、ピナ・バウシュと友人なのだそうだ。なんでも、ジャンニがスクーターの駐車違反か何かで警察ともめていたとき、ちょうど通りかかったピナ・バウシュに助けてもらったらしい。「『あなた、ピナ・バウシュに似てますね』と言ったら、『私、ピナよ』って言われて、『あらまあ』、それが出会いだったんだ」。ピナ・バウシュは、ジャンニのかつて飼っていた犬「チャーリー」をとても気に入って、自らの舞台公演に出演させたそうだ。
「ピナは彼を日本公演にも連れていこうとしてたんだけど、それは断ってしまった。チャーリーはものすごく賢い犬でね。……犬なのに『自殺』をしたんだ」
そう語るジャンニの目は、少しうるんでいた。
「晩年のチャーリーは、とても深刻な病気にかかっていた。ある日、……自分で死期を悟ったのだと思う。家族が目を離したすきに、自らプールに飛び込んだんだ。それ以降、猫は飼ってるけど、もう犬を飼う気にはならない。チャーリーみたいにすてきな犬は、他にはいないもの」

それからシャビエとヴァレンティーナが、4月にパリに旅行に行く、という話をしてくれた。モンマルトルにアパートがあるらしい。「パリのとあるバーに行くと、ホドロフスキーがタロット占いをしてくれるんだって。みてもらおうかと思ってるんだ」とシャビエ、目をきらきらさせていた。そんな、この世のものとは思えないようなヘンテコリンな芸術家たちも、広いヨーロッパの中には普通に住んでいて、普通に道を歩いていたりするのだ。自分が島国の人間だということを痛切に感じた。

最後に、アマーロという甘い食後酒を飲んだ。消化に良いのだそうで、すごーくおいしい。
楽しいディナーも、もう終わり。
店の外で、タバコを吸って、それから全員とハグしてお別れの挨拶をした。この抱き合う習慣、私は大好きだ。なんだか今生の別れという感じがしていいと思うのだ。

町中で、ネオンがきらきらしていた。
シャビエの車で送ってもらって、マルティナの家に戻った。
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by chigirayuko | 2009-02-24 03:23 | 2009年イタリア日記
イタリア日記5
●3月8日 ミラノ→カターニャ

マルティナにお金を払って、家を出た。近くのカフェで、オレンジジュースなど飲む。時間ぴったりにシャビエたちが迎えに来てくれた。今日は男性が女性にミモザの花束をプレゼントする日っつーことで、シャビエ、王子様のように花束をわれわれに手渡してくれた。

ミラノのLinate空港、主に国内線が出ているという。チェックインしようとしたら、Wind Jet 航空の職員に予約してたチケットのことでいちゃもんをつけられる。石橋さんが飛行機に乗れないかも……英語とイタリア語の飛び交う中、私は何もできず、呆然としてただ時が過ぎるのを待つしかなかった。こういうときに人間の実力って出てしまう……自分の無能さに恥じ入った。Fuck! Wind Jet!

どうにか飛行機に乗って二時間。ブルーグリーンの海が見え、シシリー島・カターニャの空港に到着。滑走路にピンクの花が絨毯敷いたみたいに咲いている。降りると暖かい風が吹いていた。

駅でタクシーを捕まえる。海沿いの道を走って、いい気分で町の中心部についた……と思ったら、超高額な値段をふっかけられる。今度はぼったくりかよ!
ジャンニがタクシー運転手と口論していると、目の前の階段から肩をいからせて降りてくる人物がいた。
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「ちょっとちょっと、おれの友達に何してくれるんでい!」

……と言ったかどうかはわからないが、タクシーの運転手になにやら激しく言い募っている。その後ろから、毛の短い胴の長い犬が現れて、加勢するように吠え立てている。

この人がいったい誰なのかというと、本日ライブするお店のオーナーで名前はサロさんというらしかった。(ちなみに犬の名前はエヴァ)。けっきょく、サロがタクシー代を払うということで蹴りがついたらしい。
「お嬢さんたち、長旅おつかれさんです。荷物、持ちますぜ」
と言ったかどうかはわからないが(サロは英語をほとんど話さないのだった)、われわれを親切にホテルに案内してくれた。

石畳の道を行くこと五分、工事現場みたいにくずおれた建物の二階にあがると……そこにはラブリーなホテル。ドアを開けると、広い広いスイートルームが。

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「わあ、やなことがあった後にはいいことがあるね」と石橋さんもうれしそう。天井は高く丸く、赤い大きなカーテンが窓を覆っている。ホテルオーナーである小柄なご夫婦が、「用があったらなんでも言ってくださいね」と笑顔で言ってくれた。

町へ散歩に出かけた。エトナ山までつながっているという、広い通りを歩いて、大きなジェラテリアに入る。ガラスケースにきれいな色のお菓子が陳列されていた。
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私は緑色の、ピスタチオのケーキを食べた。ジャンニは揚げパンみたいなでっかいケーキを食べた。「胃腸は大丈夫なの?」とたずねたら、「だいじょうぶ、むふふ♡」とジャンニ、満面の笑みでケーキにかぶりついている。ほんとうに大丈夫かな……?
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太陽が落ち、カターニャの空がものすごくきれいな藍色へと変わっていった。柔らかい空気の中、だれもかれも穏やかな表情で道を歩いている。大学前の広場の前を通り過ぎ、公園へいく。地面に象の絵のモザイクがあった。「象は、カターニャの町の象徴?」とジャンニに聞くと「そうそう」とのこと。さらに道を行くと、建物に旗が掲げられている。「あれは、シシリー島の旗だよ、おもしろいでしょ」。見てびっくり、旗には三本足の女の人の絵が描かれていた。

「なにあれ!ギリシャ神話か何かに出てくるキャラクター?」「いや、たぶん起源はもっと昔だと思う」「何を意味するシンボルなの?海とか山とかの神様?」「いや、そういうんじゃなくて……」「宇宙の母、みたいなかんじ?」「そう、それそれ!」

私たちはいたくこの宇宙の母を気に入って、「彼女には今度、石橋さんと七尾旅人さんがやるギャルバン『極限少女』のメンバーになってもらったらいいかもね」、などと話した。
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(メンバー↑)
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楽しいお散歩も終わり、本日のライブ会場、レストランNievskiへ。
オーナー・サロはチェ・ゲバラに憧れて、キューバや南米を旅したことがあるそうで、旅の写真が店中に飾ってあった。右端のお爺さんの写真を指差して、「あれはガルシア・マルケス」と言うので、「会ったことがあるの?」と聞いたら、「しゃべったよ!鳥肌が立った!」と言う。また、サロ、若いときかなり政治運動に傾倒していたらしく、二回捕まったことがあるそうで、今でもアメリカには入国できないとか。「アントニオ・ネグリは自分のマエストロだ」と言う。
そんなサロにビールにワイン、パンにサラダ、いろいろ出してもらう。白身の魚を、シシリー島のレモンやオレンジといっしょに煮た料理が出てきて、すごく美味しかったが、石橋さんが骨を喉に詰まらせて苦しそうにしていた。

どういう流れだか、ジャンニが「サロは日本人の女性と結婚したほうがいいよ」と言うので、ワインで酔っぱらった私、つい「私はどう?」と軽口を叩いてしまった。そしたら、イタリア人たち、大爆笑。涙を流してウケている。
サロ、「夢みたいだ……」とつぶやいている。「なぜ夢みたいなの?」とジャンニに聞くと、「だって、サロはもうけっこうな年だもん。いくつだっけ?」「46歳」「そうか、ハハハ、僕より若い!結婚おめでとう」。

あまりの盛り上がりに戸惑っているところへ、また新たなる人物が現れた。
本日のライブでセッションするドラマー、フランチェスコである。前にジャンニが言っていた、「すぐオバケを見ちゃう友達」は、この人かあ。
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「やあやあ君たち、ジャンニみたいな変人といっしょにツアーができるなんて、本当に我慢強いよなあ!」
「フン、君のような変人には言われたくないね」
フランチェスコ、ドラマーでありながら、小説を書いたりもするらしい。むかし女の子にヒドいふられ方をしたときに、愛憎入り交じって、彼女をバラバラ殺人するシリアル・キラーの話を書いてしまったとか。また、日本のアニメやマンガや小説に相当詳しいようで、永井豪のマンガとか村上春樹についてしゃべっていた。
「ま、言ってしまえば、単なるオタクですよ、オタク!」
とジャンニが言えば、フランチェスコ、
「いいや、さんざん二次元で性の冒険をしてきた俺だが、最近はもう卒業したのだよ」
と言い返すのだった。
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そろそろライブがはじまる。……と思ったら、フランチェスコがいない。外に探しに行くと、「電話中だから先にやってて」なんて言っている。どんだけ自由なんだ。
しかたなく、石橋さんとジャンニ、二人で始めた。「ガスタンク」という石橋さんのオリジナル曲と、即興を一曲やったところで、ジャンニがイタリア語で何か言って、ステージから降りてしまった。循環呼吸を駆使してサックスを吹くジャンニ、どうやら、演奏中に気持ちが悪くなってしまったようなのだ。だから、ケーキ食べ過ぎるなって言ったのに。

かたわらの女性客に「演奏、また再開するかしら?」と聞かれた。「すると思います……」と答えておいたが、これがなかなか始まらない。サロが私にダイキリを持ってきてくれたので、調子に乗って、「ありがとう、マイ・ハズバンド!」と答えると、どうやら喜ばせてしまったようで、ダイキリ、ダイキリ、マルガリータ、それから甘いデザート・ワイン……とそのままお酒天国に。
やばい、このままでは本当に結婚させられてしまう。
焦ったが、お酒がうまい。
そうこうしているうちに、またライブが始まった。

石橋さんとジャンニのあとに、ゆうゆうと入ってきたフランチェスコ。そのドラムは、まじでサーカスみたいだった。鼻歌うたうようにスネアを叩いていたかと思うと、勢いあまって後ろの壁やすぐそばのお客さんのテーブルまで叩き、そのままお客さんのグラスも叩き、ティッシュをハタハタ鳴らし、お客さんをうわーっと湧かせて、息を合わせてピアノとともにフィニッシュ!
英語の堪能な、イタリア人かどうかもわからない若い女の子たちといっしょになってはしゃいだ。ハー、楽しかった。
まだよく覚えている。あの地下のレストランの肌寒い空気、鍵をもらわなきゃ開かないトイレ、礼儀正しいのにやたらとフレンドリーなカターニャのお客さんたちの雰囲気。だんだんと忘れてしまうのだろうか?いるはずのない場所に、いるはずのない私がいて、日本から遠く離れた島でなぜかライブ見てる。すべての夜が奇跡のように美しい旅だった。別の世界、こことは違う世界の裏側へ突然落っこちてしまったようだった。そんなツアーも、もう終わってしまう。「ツアーが終わるのが怖い」とジャンニは言っていた。彼は明日、故郷のシシリー島・パレルモに戻って、そのまま休暇を取るらしい。つまり明日でお別れなのだ。

深夜に店を出て、ホテルへ戻った。サロと並んで歩いていると、「こ、この後どうする……?」的なことをサロが言っているようだ。前を行くジャンニと石橋さん、知らーん顔で早足になっていく。やつらめ、私とサロを結婚させようとしてるに違いない……!「あの、また明日ね」と言うと、サロ、「気が変わったの?」と悲しい顔に。どうしよう。

しかし、そのときである。通りの向こうで、一瞬、人々の騒ぐ声がした。それを聞きつけたサロ、腕まくりしたかと思うと、「ちょっくら行ってくる」。あっけなく路地裏へと消えてしまった。
「何あれ?」
「サロはコミュニストだから、ファシストと闘いに行っちゃったんだよ」
「ファシスト!?」
「そうそう。サロはいいやつなんだけど、政治のことになると熱くなっちゃうからなあ……」
ホテルに戻ったら、外からサロの呼ぶ声がした。「もう一軒のみにいかない?」的なことを言ってるらしい。ジャンニ、それを断って、「ドゥマーニ!(あしたね!)」と言って、バルコニーから煙草を投げて、彼にあげていた。
闘いはどうだったのかな? 勝ったのかな? よくわからなかった。

くたびれてしまって、せっかくのスイート・ルームもあんまり活用できなかった。お風呂に入って緋色の素敵なタオルで頭を拭いて、すぐに眠ってしまった。


●3月9日 カターニャ→ミラノ
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起きると、食卓に朝食が用意されていた。中にチョコクリームのぎっしり入ったクロワッサンや、コーヒー、オレンジジュース……。ファシストと闘いにいったはずのサロだったが、特に喧嘩の傷跡なども、疲れている様子もなく、朝ご飯を食べている私たちを頬杖ついて見つめていた。ほとんど英語を話さないはずの彼と石橋さんは、なぜか意思疎通ができているらしく、どうやっているのだか、非常に上手なやり方で話しこんでいた。

身支度をして、大通りから空港行きのバスに乗った。すっきりと晴れた空も、雪を戴いたエトナ山もあんまりきれいで、私はこのままカターニャにとどまってサロの嫁になり、レストランを切り盛りしていく人生もいいという気がした。サロが闘いに行って、刑務所に入ってしまったときには、ほっかむりをして署名運動をしたり、本や着替えを送ったりして支えるのだ……。
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(↑カターニャの私の夫♡とエトナ山)
ジャンニと石橋さんは後ろのほうの席に並んで座り、口には出さないながらも、もうすぐお別れという事実をその身にいっぱいにたたえているように見えた。
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空港でチェックイン。今度はスムーズに事が運び、石橋さん「I did it!」と笑顔になっていた。
ジャンニとサロと抱き合ってお別れをした。サロ、「日本人の奥さんができたといって友達に自慢するから、写真を撮らせて」と言う。いっしょに写真を撮った。ジャンニ、「七月に日本に行くよ。またツアーしようね」と言う。「サンキューフォーエブリシング」と言ったら、カッコつけのジャンニはフフンと口のはじで笑って目を伏せた。泣いてるんかな? 泣いてないか!
そして、空港のエスカレータを下って、行ってしまった。見えなくなるまでたくさん手を振った。

外で煙草を吸いながら、石橋さん、「いやだなあ、いやだなあ、こういうの」と怒ったようにつぶやいていた。まったく、たった二週間共にいただけなのに、ちょっとした家族みたいな間柄になってしまったのだ。
空港でおみやげを買ったりしてから、カターニャからミラノへ戻った。
飛行機の中で、今まであったことについてしゃべり、それから日本にいる友人たちの話をした。石橋さんの携帯のフォルダにあった、友人たちのアホな写真とか、もうこの世にいない友人のアホな写真など見ていたら、いろんな感情が入り混じり、また涙があふれて止まらなくなった。なんのお役にも立てなかったけど、最高の旅だと思えた。ジャンニちゃんたちが日本に来たら、たっぷりと親切のお礼参りをしてやらねばならない。

ミラノ、Linate空港からタクシーでホテルへ。
ミラノに一泊し、翌日、東京に帰るという予定になっていた。この日泊まったホテルは、日本にいるときに私が予約していった、かなり観光客向けっぽいところ。ホテルマンに案内されて部屋へ。
石橋さん、ライブがすべて終わってホッとしたのか、ベッドに寝そべり、「なんか落ち着くね〜」とグヒグヒ笑って、どんどん壊れて、変な冗談ばっかり言っていた!

シャビエとヴァレンティーナと、夕食をいっしょに食べる約束をしていた。
それまでの間、最後に街を散策。おみやげとかね、もっと買いたいような気がしたけど、なんか歩いてるだけで楽しくって、あんまり何も考えられない。
そうだ、イタリアの美味しいケーキをもうちょっと食べておこう、と思って、またお菓子屋さんに入って買い食いした。パイ生地がさくさくとしていて、たまらん、このうまさ!

時間にやや遅れ、Porta Veneziaという駅へ。
シャビエに、エチオピア料理のお店に連れてってもらった。
酸味のあるクレープを手でちぎって、肉や豆の煮込みを巻いて食べた。アフリカ産の赤ワインを飲みながら、いろんな話をした。

シャビエは私なんかよりも、いっぱい日本のことを知っていそうだった。山の中の温泉も、築地のお寿司も、鎌倉も、もちろん下北のライブハウスも、みんなみんな行ったことがあるんだって。福岡でのライブ後に、ひとりで地図を見ながら長崎の原爆資料館を見学に行ったこともあるらしい。彼は8月に東京に来るって言ってるけど、いったいどこを案内したらいいのだろう?

レストランを出たあと、シャビエは、車でぐるりとミラノの町を案内してくれた。ベネツィアにつながる大きな門とか、遺跡とか。ミラノにも、ローマ時代の遺跡やダヴィンチによる建造物などの、歴史的遺産がたくさんあるのに、市はそれを全然大事にしていないんだって。おかげでミラノの人の多くが、公園の片隅にあるそれが、ダヴィンチ作だということを知らないのだそうだ。

「シャビエは本当に物知りだねえ」と言ったら、彼はにっこり笑って、ひとこと。「自分の国の歴史を知らないのは、自分自身を知らないことと同じだ」。おそれいりました!

小さな路地にテーブルや椅子を出して、カフェやバーが夜遅くまで営業していた。その隣の通りにはミラノの美術大学があった。何度も行ったり来たりして、もうだいたいわかったような気がしていたミラノが、すごく華やかでオシャレな都会に見えた。やっぱ全然知らないと思った。そんで、また来たいと思った。
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●3月10日 ミラノ→東京

朝、10時にホテルの部屋を出る。
タクシーでミラノ中央駅へ行き、そこから、マルペンサ空港行きのバスに乗った。
あっけないほど簡単に空港に着き、チェックイン。免税店でお菓子とか酒とかちょっとだけ買った。

最後にイタリアっぽいことをしておこう、と言って、空港の中にあるアイスクリーム屋さんでジェラートを食べた。
私がピスタチオとクリームの組み合わせを注文したら、後ろに並んでいた老夫婦が
「おお……『ピスタッキオ・エ・クレーマ』……」
と歓声を上げた(本当です)。振り返ると、お爺さんのほうが満面の笑みで、
「その組み合わせは最高だよ!キミ、良くわかってる!」
と言いながら、「グッ!」と親指を出してくれた。
イタリア人に、アイスのチョイスを褒められるなんて、最高の気分だ。

ほんとうに、イタリアに来てよかった。

飛行機の中で「ダークナイト」と「バットマン・ビギンズ」を両方見て、やたらとバットマンに詳しくなって、東京に帰ってきた。
なぜか、チケットなど大事なものを入れていたポーチを飛行機でなくしたのだけれど、もう全行程終了していたし、そのときだけパスポートを別の場所に入れていたので、無事だった。すごい運の良さだと思った。じつはそこに入れていたipod nanoをなくしちゃったのだけれど、旅の期間の自分の、ダメダメさの代償を支払ったようでもあり、ちょっと凹んだけれど清々しい気分だった。

ダメな自分をたくさん発見した。もっとしっかりして、いつでも大事な人たちの力になれるようでいなくてはと思った。むずかしいが、今回出会った人たちは、みんなそのことがとても上手なように見えた。しかも、それぞれまったく違った形で。
それにしても、「イタリア行ったら、ピザ食べて、パスタ食べて、ジェラート食べて……」と夢を描いていたが、慣れないものってそうたくさんは食べられないものだ。成田エクスプレスに乗りながら、「帰ったらご飯とお味噌汁に、ほうれん草のおひたしとか食べて、後はお寿司……」と、食べ物のことばかり考えていた。

新宿駅に着いたとたんに開放的な気分になった。私はいきなり日常に舞い戻って、「そういえばさあ……」と、石橋さんに向かってべらべらとくだらないおしゃべりを始めた。
そのときである。
石橋さんがパターン!と前に倒れたのだ。まるで将棋のコマのようにまっすぐ前に、スローモーションかかったみたいに。
「ど、どうしたの!?だいじょうぶ?」「いや、だいじょぶ、だいじょぶ」
すぐに起き上がって、とくに怪我もなかったようだけれど、ビックリした。たぶん、私がいきなり日常全開でつまんない話をしたから、緊張の糸が切れて、どっと疲労がきてしまったのだ。ごめんね、許してね。でも、思い出すとハッとすると同時に、なぜだか笑いがこみ上げてきてしまう。そのくらい鮮やかな美しい転倒ぶりで、彼女はニッポンのせわしない新宿駅のムードを、一気に人間の生きている、豊かで雑多でめちゃくちゃで、ジャンニのよく言う「クレ〜イジー……」な世界に変えてしまったのだ。石橋さんはまことに可愛らしい人であり、素晴らしい才能の持ち主であり、最高の友人であります。いっしょに旅ができてうれしかったよー!♡

Gianni GebbiaとDaniele Camardaは7月に日本にやってきて、ツアーを行うそうです。Xabier IriondoとValentinaは8月末にくるとか。みんなきっといろんな場所でライブをすると思います。どんな夏になるのやら……。詳しくはこちら→http://www.eikoishibashi.com/やそれぞれのマイスペースなど参照のこと。

イタリア旅行記はこれで終わり。
長々読んでいただいてどうもありがとうございました。
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by chigirayuko | 2009-02-23 03:23 | 2009年イタリア日記



千木良悠子の日記です。
by chigirayuko
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